100%オーストラリア

30代で海外移住し現在アラフォーの著者が将来は時間やお金の制限のないライフスタイルを持つ事を目標にオーストラリアでのライフスタイルを綴っています。

どんな出会いにも意味がある⑧

はじめてのLA

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マークでに出会っていなければUSAに行くのもずっと後のことだったかもしれません。

カナダのウィニピグは11月すごく寒かったのを覚えています。

ゴールドコーストは春だったので真反対の気候ですね。

ウィニピグ観光地らしきところはウィニーザプー、くまのプーさんの元になったといわれるくまの銅像がありました。

しかも何にも周りにないひっそりとした場所に存在していたような。。

周辺は公園だったかその銅像の周りはすっかり秋で寂しい感じだけがありました。

くまのプーは黄色ですがその銅像は本物のクマの姿、全く違いましたけどね。

 

そこで2日宿泊してLAに出発しました。

LAといえばハリウッド、サンタモニカ、国立展望台、ショッピングも食べ物も映画でしか見たことのない世界。

と同時にたくさんのホームレスがいて、銀行はブレッドプルーフの分厚いガラスがお客さんとすフタッフをへだて、街角の小さなコンビニにもレジとお店はフェンスで仕切られていました。

すっかりオーストラリアの平和な環境に慣れていたので怖さを感じたのは言うまでもありません。

そんなロサンゼルス観光、しかも地元の人の案内でいった観光地は、今後わたしが住みたい街かどうかを考えさせるとてもいい機会でした。

 

この訪問を機にわたしはLAに住むという選択肢も考え始めました。

もちろんビザのことも仕事のことも考えなければなりません。

車は右側車線を走るし、友達もいないし生活の環境はかなり変わる。

そんな感じで一度目の訪問は楽しいままで終わったのでした。

 

その後からはわたしがその時持っていたオーストラリアのビザが終わったらアメリカに引っ越すと言う方向で話が進んで行きました。

そして12月、年末に仕事でちょうど休みが連休になったのでクリスマスを過ごしにもう一度LAに向かいました。

そしてなんと彼の家族や親戚の人たちをクリスマスホリデーを過ごすことになったのです。

後で考えたらこれってかなり真剣なお付き合いですよね。

彼の子供も一緒にクリスマスショッピングや、親戚みんなでスキー旅行に行ったり、アメリカのクリスマスホリデーを存分楽しんだのでした。

結婚したらこう言うのが当たり前になるんだろうな、と漠然と考えながらオーストラリアに戻ります。

 

そして三度目のアメリカ訪問はイースターでした。

この時は本格的に引っ越しを視野に入れて、持っていける荷物を運んだりして普通の生活を楽しみました。

この頃になるとオーーストラリアの生活とロサンゼルスでの生活を比べるようになっていました。

そして複雑な気持ちになっていることに気づいたのです。

大好きな彼に会いに来ているはずなのにオーストラリアが恋しくて、早くオーストラリアに帰りたいと言う気持ちです。

 

オーストラリアに戻ったわたしは、やはりゴールドコーストが落ち着くなと安心していたのです。

こうして半年で3回のアメリカ訪問をしました。

それからいよいよわたしの当時保持していたビザが切れる8月がすぐそこまで来ていました。