やっぱりゴールドコーストが好き
マークとは、8月で当時持っていたわたしのオーストラリアのビザが切れたらアメリカに引っ越すという計画で話は進んでしました。
あと2ヶ月、後1ヶ月と日を追うごとにゴールドコーストで過ごした日々を思い返しては、アメリカに行ったらこんなに素晴らしい生活を送ることはもうないんだ、と悲しい気持ちがどんどん膨らんで行きました。
新生活に対してワクワクすると言うよりも、寂しさでいっぱいになってきたのです。
そして毎日のようにビーチに行ってはこの景色を覚えておきたいと異常なくらい写真を撮り溜めていったのです。
(このブログで時々貼られているビーチの写真にはそんなわたしのゴールドコーストへの想いがたくさん詰まっています。)
アメリカへ行くか行かないか?
行かないのならオーストラリアのビザをどうするのか?
日本に帰るという選択肢は全くなかったので自然と選択肢はふたつ。
大好きな人のところに行くのか?
また一人で頑張るのか?
そういう選択でもありました。
結局わたしが出した結論はゴールドコーストに残ること。
6年住み慣れた二つ目の『ホーム』を離れることがその時はできなかったのです。
アメリカには友達がいない。
ビザの問題。(彼は離婚調停中ではあったものの離婚はしていなかったため結婚もできない
)
仕事の問題。
治安の問題。
彼の仕事の出張問題。
彼の子供問題。
なぜかわたしの家族や親戚が反対問題。
あれこれ理由を並べてみたけれど、その時は彼のために自分の人生を変えることができなかったのでした。
その後、彼はわたしに会いにオーストラリアに来てくれましたが、前回会ってから半年後のこと。
なんとなくギクシャクしてこれが最後になるんだろうとなんとなく感じていたのです。
そして、何週間かした後、ついにお別れを告げたのです。
確かにとても幸せな時間を過ごして、一度は引っ越すつもりでワクワクしていた時もあります。
彼の子供とどう接したらいいのか?
仕事のことも調べました。
でもそこにわたしが生活しているのが想像できませんでした。
もちろんその時のマークは納得ができでいません。
今はどうかわかりませんがそれから2年ほどはたびたび連絡が来ていて、その年のクリスマス前に、彼が突然アメリカからやってきてサプライズ訪問してきたこともありました。
こうして打ち上げ花火のように盛り上がって線香花火のようにゆっくりとわたしの国際恋愛は終わって行きました。
なぜわたしがアメリカに行きたくないと言ったのか?
彼よりもゴールドコーストの魅力がまさっていたからです。
彼にはそれが納得できなかったみたいです。
最終的にこんな終わり方をしてしまったけれど、半年間でアメリカに3回も旅行できて、大切にされて、幸せな時間を過ごし、2人でいることの心強さを学びました。
そしてマークとの出会いはマイケルに出会わなければなかったことだし、マイケルには史上最低の男に出会っていなければ会うことはなかっただろうと思っています。
人生の中で、ものすごい濃い数年間でした。
人生でどうしてこんな人に出会ったんだろうと思うことがあると思います。
その出会いが辛いものでもその中にはきっと学びがあるんだと思うようにしています。
そういう意味でも出会いはいつも大切にして行きたいですね。