幼稚園児を連れたお父さんがお客さんとして美容室に来店しました。
私がそのお父さんのカットをしていた時、隣で座っていた女の子がお父さんを見つめて何が言いたげな顔をしています。
ものの15分ですが子供にとっての待ち時間は長いはず、スマホで遊びたかったようです。
お父さんはスマホを渡すとまた私と会話を再開していました。
女の子らスマホのどこかに入っているゲームを探していましたがなかなか見つからないでいました。
お父さんが手を貸すのかな?と思って思っていたら、子供に学習してもらいたいから手は貸さないと言っていました。
たしかに、私の甥がまだ4、5歳くらいの時のこと、彼は文字なんて読めませんでしたが、テレビのハードディスクに録画されている子供用のテレビ番組がどこにあって再生の仕方も知っていました。
教えてないのに。
そんなエピソードをお父さんと話していたのですが、お父さんはこんなことを言いました。
「子供の頃は失うものがないから、なんでも挑戦できるんだよね。」
振り返ると私も学生時代、説明書なんてあるようなないようなパソコンを使いながら、いろいろなアイコンをクリックしては繰り返して操作を覚えていた事を思い出しました。
それから数年が経ち、同じ容量でラップトップを掃除しようとした事がありました。
しかし、あろうことか捨ててはいけないモノもゴミ箱にポイしてしまったようなんです。
焦ったわたしは慌てて捨てたモノ全てをスクリーンに全移動しました。
コンピュータの中で整頓されオーガナイズされていたすべての書類やプログラムが全て個々の書類として2GBしか使えない画面上現れたので、コンピュータはその状態で止まってしまったのです。
アップルに持っていったら時間はかかりましまが、なんとか元の状態に戻って一安心した。
という出来事がありました。
それからというもの、このアイコンをクリックしたら全ての情報が、きえてしまうのではないか?という不安でなかなかパソコンでの作業に怯えるようになってしまいました。
これが、日常生活でいうとやってみたいけど、怖くてできない事ってあると思うのです。
欲しいけどお金出してしまったら後での生活に困るかも。
職場を辞めたい、でも家族を養うにはやめるわけにはいかない。
独立したい、でもリスクがある。
それを乗り越えると欲しいものが手に入るのです。
欲しいけどお金出してしまったら後での生活に困る、でも憧れのバックが手に入るかも。
今の職場を辞めたいけど家族を養うにはやめるわけにはいかない、でも今の職場をやめたらストレスから解放されるかも。
独立したいけどリスクがある、でも独立したらお金と自由が手に入るかも。
離婚したら新しい人生が手に入る。とか。
子供の話に戻ると、彼らは何にも失うものがないからどんどんチャレンジしていくんです。
失うものがないからチャレンジできる。
チャレンジするからその先のご褒美をえることができる。
シンプルですね。
おとなになると守りたいものやいろんないらない考えがまとわりついて、チャレンジすることを恐れます。
欲しいものが手に入るのもそんな理由からなのでしょうね。
そう考えると恐れは本当に必要なものなのか?
いらないものはどんどん捨てて軽くなっていくと欲しいものが入る。