わたしは今年で10年オーストラリアにすんでいます。
初めて来た日のことを今でも覚えていますが、当時はどこに何があるのか、右も左もわからない、バスに乗るのが怖い、ゴミ箱が海外っぽいなど、日本との違いにいちいち感動したり驚いたりしていました。
それが今は寿司が、Sushi であることにも、野菜が全てバラ売りで、計り売りされていることにも、道路標識や電車の広告などが全部英語で書かれていることも、一緒にすんでいるパートナーが日本人でないこともスーパーにクロコダイルやカンガルーの肉がならんでいることも全て当たり前になっています。
逆に日本語で書かれた5食入りラーメンのパッケージが安くローカルのグロセリに売っていると珍しくて嬉しくなるのです。
全てが新しくて新鮮だった景色や習慣がこの10年で当たり前になってはいるのですが、やはりここはオーストラリアだったんだ、と感じる事がありました。
例えば、日本から送られてきたある書類になつ印しなければいけない時、朱肉も印鑑もなくて近所のプリント屋さんから赤のそれっぽいインクをかりて拇印で印鑑の代わりにしたことがあります。
印鑑なんて使わないのであの独特ないろの朱肉なかったわけです。
そして日本ではコンビニにも売っている筆ペン。
先日筆ペンを探しに文房具屋さんにいったのですが、見事にありませんでした。
あったのはカリグラフィーなどアートの画材用のカラフルなもの。
墨がはいったあの筆ペンはダイソーにいかないとないのかもしれません。
代わりに鉛筆を買ったのですが、親切なのか始めから鉛筆が削られた状態で売られていました。
これ普通ですか?
イタリア人パートナーに聞くと、イタリアでは削られたものと削られてないもの両方売っているそう。
ちなみに鉛筆一本89セント。
私が鉛筆使ってたころは一本50円くらいだったな。
話は戻りますが、最近はローカルのスーパーでもマヨネーズや味噌、醤油などは普通に売られていて、わりと物には困らない生活をしていたのでオーストラリアに住んでいる事をあんまり意識していなかったんです。
それだけわたしもオーストラリアに馴染んでいるんだなあと改めて感じました。
本もKindleで買えるからたまに本屋さんにいくとあー、ここはオーストラリアだったなと思うのです。
人生の4分の1をオーストラリアですごしているのですが、次第に日本に帰ると逆に驚くことも多々あるわけです。
が、それはまた別の記事で。