今、ヨガのティーチャートレーニングでオンラインで勉強しているのですが、国が違うと表現の仕方も日本やオーストラリアとも少し違うなあと思って本を読んでいました。
このコースはアメリカのヨガスククールが提供してくれているもので、オンラインの教材を使っています。
その中で「ある行動をすることで怪我につながるからやめましょう。」というようなネガティブな予測を前もってすることで起こり得るネガティブな結果を防ぐという話の中で出てきた例文がありました。
「幼児に火で遊ぶことは危ないことだと教えます。」と同時に
「学校では安全性を確保するために子供達は銃をもってくることができません。」という例文が載っていました。
学校に銃を持っていくことはもちろん、日本やオーストラリアでは銃を護身用に持つこと自体が許されていませんよね。
このように、アメリカでは銃を持つことが普通にあり得ることというのが前提で例文が書かれていたことに改めてびっくりしたのです。
私が英語のコースを受けているとき、先生がよく言っていたことがあります。
それは、「日本語を英語に訳すことができたら英語が通じると思っていたらそれは間違いですよ。」というものです。
日本人が英語初心者がを話そうとすると日本語を直訳してしまうことがあると思うんです。
例えば、「家に帰ったら靴を脱いで、揃えてから手を洗ってうがいをします。」という説明を外国人にしたとします。
日本のことを知らない外国人はなんで?という反応をする可能性もありますね。
靴を脱ぐという行為はアジアや日本では当たり前の常識でも、他の国の人にしてみたら当たり前ではないのです。
国が違えば文化も教育も違うことでしょう。
オーストラリアに住んでいると色々な国の人と接することが多いです。
特に美容室には他国から移民してきたという人たちは本当に多い。
同じように美容室に来るだけでもそれぞれの国柄で行動の仕方や考え方は違うので、それはそれで面白かったりはしますが。
私自身も話をするときは日本の当たり前を押し付けないようなコミュニケーションをしていきたいと改めて思いました。
(ヨガのスクールが彼らの文化を押し付けているという意味ではありません。)